info@makimoto-flute.com 03-3729-7299

コラム

コラム一覧

2019.8.1

ウィーンのモーツァルト

2019 年2 月にウィーンに行って来ました。
今回の旅は、昨年の夏に古本市で手に入れたH.クレッチマー著「ウィーンのモーツァルト史跡探訪」というタイトルの本を読み、現地を訪ねて散策してみようと思ったのがきっかけで、6 年ぶりにウィーンに行って来ました。
ウィーンにはモーツァルトだけでなく、ハイドン、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームス、シュトラウス等多くの音楽家が生活していました。
住居は博物館になっていたり、建て替わって一般の住居として使われている所などがあり、誰が住んでいたか、また当時住んでいた時に何を作曲したかなど記されたプレートが家の外壁面に掲げられています。
今回はモーツァルトを中心にそれらを少し紹介したいと思います。

先ずは1756 年にザルツブルクで生まれたモーツァルトがウィーンに来て1773 年に住んだティーファー グラーベン18 の家に掛かっている記念銘板。この家の並びにはベートーヴェンが住んだ家もあり、そこでは作品番号しか記されていませんが「ハンマークラヴィーア」ソナタも作曲したことがわかる装飾が壁に綺麗に施されています。

ティーファー グラーベン18 の家

記念銘板

 

ティーファー グラーベン8-10ベートーヴェンの家

装飾された壁面

 

次にモーツァルトが6 歳の時に演奏したアム ホーフ13 にある「コラルト館」、ここにも以下のプレートが掲げられています。

コラルト館

1762 年にこの町の公衆の前で初めて演奏したことが記されている

 

1782 年に住んだ ウィップリンガー通り19 / フェルバーガッセ 5 にある 「赤いサーベルの家」に行きました。クレッチマーの本には記念銘板があると書かれていましたが見つかりませんでした。
家の写真だけ撮って来ました。

赤いサーベルの家

 

1781 年にザルツブルクの宮廷音楽家を辞めることになりますが、辞める前にジンガー通り 7 にある「ドイツ騎士団」の館に「1781 年3 月16 日~5 月2 日まで」ここに住んでいたことがプレートに記されています。

ドイツ騎士団の館

ドイツ騎士団の館の中庭

 

建物の入口通路にある記念銘板

 

同じ年の5 月にペーター教会の裏にあたるミルヒガッセ1 の家に移って、ここで歌劇「後宮からの誘拐」を作曲したと記された記念銘板が掛けられています。

神の目と呼ばれた住居

記念銘板

 

左手前はペーター教会の後陣

 

またユーデンプラッツ3/4 にはこの家に住んだことを記したプレートが掲げられている家があります。

神の母と呼ばれた住居跡

1783 年4 月~12 月まで住んだと記されているが実際は正確ではない

 

モーツァルトがウィーンで住んで現在残っている唯一の家、「モーツァルト・ハウス(旧フィガロ・ハウス)」はリニューアルされて家の中を見学することが出来ます。入り口はドームガッセ側ですが、裏のシューラー通りに回ると、ここで歌劇「フィガロの結婚」を作曲したことを記したプレートが掛かっています。

ドームガッセの入口

シューラー通りに面した建物裏側にプレートがある

 

1784~1787 年まで住んでいたと記されている

 

ショッテン・トアから市電で一つ目の停留所で降りてそのまま進行方向に少し歩いた右手側、ヴェーリンガー通り26 に歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」、後期三大交響曲などを作曲した家があります。
1788 年夏から1790 年の秋までここに住んでいたとプレートに記されています。

昔はガーデンハウスだった

記念銘板

 

モーツァルトが亡くなった場所を記したプレートはケルントナー通りにあるデパート「シュテッフル」の裏口 ラウヘンシュタイクガッセ 8 に掲げられています。

シュテッフルのウィンドウの隣

1791 年12 月5 日に亡くなった家が1849 年まであったと記されている

 

亡くなった家の前の道路の突き当たりの ヒンメルプフォルトガッセ 6 には「カフェ・フラウエンフーバー」がありますが、元々ここにはマリア・テレジア時代に宮廷料理⾧だったI.ヤーンのレストランがあり、2F のコンサートなどが出来るスペースでモーツァルトや後にベートーヴェンもここでコンサートを行ったことを記したプレートが掛かっています。

フラウエンフーバー

記念銘板

 

シュテファン寺院の北側の小さな礼拝堂の柵の内側に十字架があり、その下に「ここで1791 年12 月6 日に葬儀を行った」と記されたプレートが掛かっています。

シュテファン寺院北側の十字架礼拝堂

礼拝堂内部の十字架

 

十字架下の記念銘板

 

その他、中央墓地に行く途中にはモーツァルトが12 歳の時に「孤児院ミサ」を作曲し指揮した孤児院教会(レンヴェーク 91)があります。ここから歩いて10 分くらいのところにはモーツァルトのお墓がザンクト・マルクス墓地にあります。

孤児院教会

記念銘板

 

モーツァルトの墓所

 

ウィーン郊外のバーデンには有名な合唱曲「アヴェ・ヴェルム・コルプス」が作曲されたモーツァルト・ホーフがあり、壁面のプレートに「この家で1791 年、不巧の"アヴェ・ヴェルム"が書かれた」と記されています。

モーツァルト・ホーフ

記念銘板

 

近くのシュテファン教会の中には、ここで「モーツァルトは1791 年に彼の友達でここの合唱⾧、アントン・シュトルのためにアヴェ ヴェルムを書いた」と記されたプレートが掲げられており、思わず涙が出てきました。書かれたのはモーツァルトが亡くなる半年前の6 月です。最晩年の最高傑作のひとつです。

シュテファン教会

教会内のプレート

 

バーデンは保養地で他にもベートーヴェンが第9 番の交響曲を書いたベートーヴェンハウスがあり、またシューベルト、シュトラウス等多くの音楽家が逗留しています。

ベートーヴェンハウス

工事中でプレートが足場の影に隠れていた

 

これらは今回の旅の一部で、ブルク庭園にあるモーツァルト像、中央墓地にあるモーツァルトの祈念碑など他にも沢山の史跡がありますが、有名なので今回は省きます。
旅の参考になさってください。

ページトップ